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土井酒造場は、ここ小貫の地で代々名主(庄屋)を務めてきた家柄。江戸時代、名主は地方の役場や税務署の役割も果たしていた。土井家のルーツは遠く安土桃山、戦国の頃まで遡ることができるという。名主である土井家が酒造りを始めたのは、明治に入ってからというから、酒蔵としては比較的新しい部類に入るのではないか。とは言え、百年越えの企業を“新しい”と表現をする業界は、世界中探してもそうは存在しない。維新を経た明治という新しい時代を記念して、新たに酒蔵を始められたと聞く。

四代目の蔵元である土井清愰会長は、旧家の主にふさわしい厳しい眼光と、真一文字に引き結んだ口元に威厳が漂う。初めてお会いしたときは、ひどく緊張し、恐る恐るご挨拶をしたものだ。しかし、実際にお話をさせていただくと、とても優しく細やかな気配りをしていただけるものだから、かえってこちらが恐縮してしまうほどであった。この日も、仕込み真っ最中の忙しい時期にも係らず、笑顔で出迎えてくれた。
※2014年8月、五代目蔵元として土井弥市社長が就任。

早速蒸し場に案内していただくと、大きな甑(こしき)から盛んに蒸気が吹き上がっている。酒米を蒸す蒸気は乾燥蒸気(加熱水蒸気)と呼ばれるもので、100度以上の温度になる水分の少ない蒸気。この乾燥蒸気を使って、外硬内軟に酒米を蒸し上げ、酒母(しゅぼ)用、麹(こうじ)用、醪(もろみ)用に分け温度を冷まして行く。これを放冷作業という。麹室での作業は真夜中にも行われるが、蔵人総出の朝の作業としては、この蒸米の放冷が一日の始まりの作業となる。

この蒸米の放冷作業の先頭に常に立つのは、五代目の蔵元を継ぐ土井弥市専務だ。いつも手ぬぐいでキリッと髪を包み、大きな甑の中の蒸米を勢いよくスコップで掘り出し、搬送用の桶に蒸米を詰めていく。弥市専務はスリムな体系だが、スコップや桶を持つ腕には太い筋金が通り、見た目以上にキツイ作業だと分かる。写真は酒母の仕込みに使われる蒸米を、桶に詰め運び出す作業風景。酒母や吟醸の麹米として使用される蒸米は、機械を使わず手作業で適温になるまで温度を冷ましていく。